あるバラエティ番組好き20代男子にとっての「めちゃイケ」の話。

どうも、すんすんや(@sunyasunsun)です。
こないだ飲み会終わりに小腹がすいたのですき家に行きました。
店員さんが外国人の方だったんですが、あさり汁を頼んだら、なぜかアサヒビールが来て、思わず笑ってしまいました。
「あさり汁」と「アサヒビール」…確かに外国人の方からしたらわかりにくいかもしれませんね。


しょうもない小話を挟んだところで、今回は「めちゃイケ」について書きたいと思います。
気付いてる方おられるかわかりませんが、僕のはてなIDは「metyaike」なんですよ。
ローマ字的には「mechaike」が正しいんですけどね。
理由としては、はてなに登録した際に使ったGmailのアドレスがmetyaikeで始まるからです。
小学校の時に作ったアドレスをそのまま使っているので、間違った綴りなんですよね。
同じメールアドレスを小学生の時から10年以上使っているってちょっとすごくないですか?笑
そのおかげで迷惑メールばっかり来るので、今となっては捨てアドみたいになってるんですけどね。


約22年続いためちゃイケがついに3月で終わります。
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多分僕が一番最初にハマったバラエティ番組が、このめちゃイケなんです。
年の離れた兄がいるので、僕が物心ついた時から土曜の20時はめちゃイケを見ると決まっていました。
今考えれば、当時はこどもに見せたくない番組として悪名高かっためちゃイケを、何も言わず見せてくれた親には感謝せざるを得ません(笑)
岡村・矢部のオファー企画や、岡女濱口だまし、中居との日本一周、27時間テレビでの加藤のマラソン、岡村・具志堅のボクシング対決、油谷さん…などなど、今でも覚えている企画がたくさんあります。
数取団や色取忍者などのゲーム企画は当時学校でも流行っており、僕の同年代の子供たちはなんだかんだでみんなめちゃイケを見ていたのではないでしょか。
とにかく当時の僕はめちゃイケが大好きだったし、ナインティナインは憧れでした。


ただ極楽山本の降板、岡村の休養、新メンバーの追加などの事件から、気付けば見なくなることが多くなりました。
今になって「なんで見なくなったのかな」と考えると、めちゃイケの台本臭さに飽きてしまったからだと思います。
当時の僕は、ゴッドタンやアメトーーク、ロンハーなどにハマっていました。
これらの番組は、もちろん台本がありますが、出演者のアドリブや技術によるものが多く、ゴッドタンに至っては台本をぶち壊すような展開も多くて、当時の僕にとっては刺激的な番組だったんですよね。
だから毎回同じような展開をするめちゃイケには飽きてしまったんだと思います。
ガリタ食堂とかも正直つまんなったですね…


こんな感じで大好きだっためちゃイケを見なくなることが多くなったわけですけど、2、3年前くらいからまた好きになってきたんですよね。
僕のバラエティの見方が変わったのが、大きな理由です。
めちゃイケを見なくなった当時は、バラエティ番組を見て「あ、これはやらせだな」とか「台本だろうな」とかを察知してシラケてしまっていました。
ただ色んなバラエティ番組に触れて「やらせとか気にしないのが一番楽しい」と気づきました。
バラエティを見るときはバカになるのが一番楽しめると気づいたんですよね。
そういった姿勢でめちゃイケを見たら、結構楽しめるようになっていました。
そんなこんなでめちゃイケを楽しめるようになった矢先に、番組終了です…


番組が終了する…と聞いて、「ああ、やっぱりかぁ」という気持ちがあったのは否めません。
ただそれ以上に悲しさもありました。
上にも書いたように、初めて好きになった番組だったし、思い出もたくさんある番組だったからです。


少し話がずれますが、僕はとんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンの黄金時代を知りません。
もちろんビートたけしとかドリフターズなんかもそうです。
とんねるずで言えば「みなさんのおかげです」、ダウンタウンで言えば「ごっつええ感じ」、ウンナンで言えば「ウリナリ」。
おそらく当時一世を風靡した番組なのではないでしょうか。
ただこれらの番組を僕はリアルタイムで見れていません。(厳密には「ウリナリ」はうっすら記憶がありますが…)
今となっては重鎮である彼らの、若かりし時の番組を僕は知らないわけです。
僕はとんねるずダウンタウンウンナンも、とても好きです。
ただ僕の彼らへの気持ちは、おそらく上記の番組をリアルタイムで見ていた世代の方とは、まったく違うものだと思います。
先日の「みなさんのおかげでした」の「ちょっと北の国から」のコントを見ても、懐かしいという気持ちは全く出てこない。
水曜日のダウンタウン」の「お前が歌うんかい!」の元になっているコントも知りません。
一バラエティ好きの僕からすると、これってすごい歯がゆいんですよね。


だからそういった意味で「めちゃイケ」は20代の僕にとって世代の番組だったのです。
この記事を書くにあたって、めちゃイケウィキペディアを読んだんですが、過去の企画はほとんど覚えていました。
そして企画を思い出すと同時に、その当時の自分の記憶も一緒に思い出すくらい、めちゃイケは僕にとって思い出の番組だったんだな、と改めて思いました。
現在めちゃイケは3月の番組終了に向けて、「シュウ活」プロジェクトと題して、過去の様々な人気企画を復活させています。
「懐かしい」というノスタルジーな気持ちと共に、「やっぱり面白いやん」という気持ちが出てきます。
また、めちゃイケ始まって以来のレギュラー陣のネタバトルなどの新しい企画もあり、とても見応えがあります。
最終回は前代未聞の5時間スペシャルだそうです。
楽しみで仕方ありません。


めちゃイケの終了は、とても悲しいです。
僕にバラエティの面白さを教えてくれた番組。
めちゃイケがなければ、もしかするとここまでバラエティ番組を好きになってなかったかもしれません。
終わっても僕の根幹にはめちゃイケがいつまでもあるんだろうな、と感じます。


「みなさん」と「めちゃイケ」、フジテレビを代表する二つのバラエティが終わります。
これからのフジテレビはどうなっていくんだろう。
終わりに向けて走る「めちゃイケ」の面白さは、ある意味フジテレビへの批判の意味合いもあるんじゃないかと思います。
一バラエティ好きとしては、フジテレビに頑張ってほしい気持ちでいっぱいです。
後番組が発表されましたが、正直腑に落ちない番組ばかりです。
フジテレビよ、もう後がないんだから、もっと攻めてくれ…
頑張れフジテレビ!!


以上です。
読んでいただきありがとうございました。
すんすんやでした。

芸人が売れるってとにかく狭き門という話。

どうも、すんすんや(@sunyasunsun)です。
芸人という職業の難しさについて前回の記事で少し書かせてもらいました。
その続きといってはなんですが、少し自分の話を書かせてもらおうと思います。


僕、芸人になりたかったんですよね。
自分で言っては何ですが、僕は小中高とどのクラスにも一人はいるお調子者でした。人よりも笑いに自信がありました。
だからなんとなくぼんやり「芸人になりたい」と思ってたんですね。
ただそんな自信も大学に入ってある部活に入ったことで、ぽっきり折られました。
その部活には僕が今まで出会ってきた人よりも何倍も面白い人たちがいたんですね。
大学生的な、いわゆる「ウェイ」系な面白さじゃなくて、ストイックな人たちが何人もいました。
練習でも飲み会でも、とにかくみんな面白いことをしようというので必死な人たちの集まりでした。
合宿ではみんなガチでネタを作って披露し、先輩後輩関係なく順位をつける、という謎の大会も開催…(笑)
僕ももちろん何度かネタを披露しましたが、ことごとくスベリ、「ああ、芸人向いてないな…」と思い、芸人の夢を諦めました(笑)
(ちなみに決して落語研究会とかではなく、体育会系の部活です。色々変な部活だったので、またいつか書くかもしれません。)


まあとにかくそんな感じで笑いにあふれた部活だったんですね。
そんな中に僕が一番面白いと思う先輩がいました。
その先輩と僕は、二人ともバラエティを見るのが好きという共通の趣味もあり、二人で飲みに行ってはひたすらお笑いについて語っていました。
あの番組・芸人はなぜ面白いのか、とか普通の人が聞いたら全く面白くないような話を肴に延々と飲んでました。
大学のお笑いサークル主催の大喜利大会に二人で出場したりもしました。
若手芸人と大喜利対決するんですが、僕は緊張して全く回答できない中、その先輩は堂々と振る舞い、若手芸人と競ってました。(さすがに負けましたが)
懐かしい思い出です。
そんな先輩も卒業して、普通に企業に就職していきました。


ただ就職して半年後くらいに急に飲みの誘いがあって
「仕事辞めて、お笑い芸人になるわ」
と聞かされました。
衝撃を受けましたが、「でもこの人ならうまくいくのかもしれない」と僕は思い、「応援します」と伝えました。


そして、よしもとの芸人養成所であるNSCに入学しました。
先輩はNSCで出会った方とコンビを組み、100組以上いるコンビから見事選抜され、一番最初のライブに出ることになりました。
僕はもちろん見に行きました。
先輩は滑りました。
そんなスタートでしたが、その後も先輩はNSCの選抜クラスに入り、何度もライブに出ました。
割とNSCの中では、できる方のコンビだったと思います。
ただ先輩はこだわりが強くて、2,3度解散します。
でもその度に選抜に再度選ばれ、NSC生で順位をつける大会では3位以内に入ったりもしました。
そして無事にNSCを卒業して、プロの芸人となり、またこだわりが強いためコンビを解散し、今はピンでのらりくらりやっております(笑)
www.youtube.com
(この動画で先輩は割と真ん中の方で踊ったりしてますw)


今現在、大阪でよしもと芸人がネタを披露する舞台としておそらく一番有名なのが、なんばグランド花月、いわゆるNGKです。
そしてNGKとは別に若手芸人がメインで活動するのが、よしもと漫才劇場です。
この漫才劇場のレギュラーメンバーになることが吉本の若手芸人にとって一番最初の目標になるわけですが、なかなかの狭き門なんです。
オーディションライブが毎週あるんですが、それぞれのライブで一位になった芸人だけが、次のオーディションライブへと進みます。
その一位の集められたライブで、また一位になればようやく漫才劇場への挑戦権が与えられます。
そこで現漫才劇場メンバーと戦う入れ替え戦が行われ、見事勝ったコンビが漫才劇場に出られるんですね。


そんな感じで数々の試練を超えた先に漫才劇場があるんですが、その漫才劇場に出たからと行って売れるわけではありません。
出演芸人一覧 - よしもと漫才劇場
こちら少し見てほしいのですが、ゆりやんとかフースーヤとか、M-1決勝に行ったさや香とかいますけど、ほとんどが知らない芸人ではないでしょうか。
結局テレビに出てるような芸人ってのは、一握りなわけです。
狭き門をくぐり抜けたあとに、また更なる狭き門があるわけです。


そんな漫才劇場に出るためのオーディションライブに何度か行ったことがあるんですが、本当に今すぐテレビに出れるような面白い芸人なんてのは一組いるかいないかくらいです。
もちろん面白い芸人もいますが、あくまでもそのライブの中だけの話で、正直レベルは低いものです。
先輩は何度か勝ち上がっていましたが、漫才劇場のメンバーになることは今のところかなり遠い道のりです。
ライブ終わり何度か先輩と飲みに行きました。
お笑いは難しい。キャラがほしい。売れるビジョンが見えない。などなど、様々な悩みを吐露していました。
とにかく大変みたいです。
何が面白いのか考えれば考えるほど、何が面白いのかわからなくなる。
そんな中でようやくできた、これだ!というネタを披露しても滑る。
また考える…この繰り返しなわけです。
僕たち素人が考えている以上に芸人ってのは難しい。
身近な人が芸人になったことで、余計思います。


オーディションライブに行くたび思うのは、本当に芸人っていっぱいいるということ。
それも大阪の吉本芸人のライブなわけで、東京にも吉本の同じようなライブがあるし、他事務所も含めれば、どれだけの芸人がいるのか。
そしてその中でテレビに出られる芸人は本当に一握り。
更に、テレビに出続けられる芸人なんてのはもっと一握りなわけです。
だからずっとテレビ出てる芸人は本当にすごい。
苦労してネタでテレビに出られても、次はトークができないとテレビには出られません。
色んな狭き門をくぐってくぐってくぐり抜けた人だけが、売れっ子芸人になるんです。
とにかく芸人が売れることはとても難しいんですね。


先輩が芸人になって、芸人の実情について少し知りました。
余計僕は芸人にはなれないな、と感じます。
芸人はみんな苦労していて、ただふざけているだけじゃないんです。
NSCには毎年多くの芸人志望の人たちが入学します。
ただ在学中に芸人の厳しさを目の当たりにして、辞めていく人もかなりたくさんいます。
卒業して頑張って続けても売れるとは限りません。
とても大変な職業なわけです。
でも芸人はみんな夢を持っています。
叶わないかもしれない夢に向かって、ひたすら走り続けているんです。


「MASKMEN」第二回で、斎藤工がよく飲む売れない芸人である曇天三男坊が、斎藤工のお笑い芸人になるという挑戦に対して

「いやもうホントにね……邪魔ですよ!邪魔!だってこっちは、こっちは夢賭けてやってんすよ。夢賭けてやってるのを、そんな人間の成長のためにって感じでやられても。冗談じゃないですよ」

と語っていました。
身近な人が芸人になって、悩みを聞いている僕にはこの言葉が強く刺さりました。
この後斎藤工に論破されてしまっていましたが(笑)


本日は以上です。
勢いに任せて書いてしまいました…(笑)
前回のちょっとした続きとして書かせてもらいました。
なんとなく見ているテレビに、当たり前のように出ている芸人。
中には面白くないと思う芸人もいると思いますが、みんなとてつもなく狭き門をくぐりぬけてきた猛者なんですね。
だから僕はどんな芸人にも少なからず尊敬の念を抱いております。

読んでいただきありがとうございました。
すんすんやでした。